イクジな日々、おシゴトな時間。

「会社での仕事」そして「育児」という2つのおシゴトに追われながらも、「子の成長」そして「私自身の成長(いわゆる「育自」^^)」を楽しんでいきたいと考えている、Working Motherが綴るblogです。
2017年09月 ≪  12345678910111213141516171819202122232425262728293031 ≫ 2017年11月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【 --/--/-- (--) 】 スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

心の中に神様を

先週の「いのちを大切にできる子に育つか」の記事の続きです。
死んだ金魚をトイレに流すな―「いのちの体験」の共有 (集英社新書)を読んで、思ったことをつらつら綴っています。

で。

前記事で見たように、私は、自分に基本的自尊感情が育っているかは、自信がないところであるが、それでも自分が自殺もしないだろうし、誰かを殺したりもしないだろう、思っている。
その理由は、2つある。

1つは、この著者が自身をふりかえって「弱虫」と言っているのと同様、私も「弱虫」だからである。
著者は、この本の中で自分の人生をふりかえり、いのちを大切にすると気持ちはどこから育まれるか、という問いに対する答えを見つけようとしています。その中で、自分のことを「人を(肉体的に)攻撃することが皆無だった」、「弱虫だった」とふりかえっています。
私自身は、人を叩いたりすることが皆無だったかというと、まあ、皆無じゃないのですが(汗)、例えば、いじめられかけているときのように、ここで叩いとかないと相手をつけあがらせる、と判断したときは、何度か人を殴ってますが、そういう特別な理由がないときは、人を叩いたりできないですよ。
著者は、人を攻撃できない子、というのは、弱虫なのではなく、想像力が豊かな子、だといいます。自分が攻撃されて辛いのだから、相手も攻撃されれば辛いだろう、と。
自分もそういうところがあるので、自分が誰かを殺したりすることは想像できないんですよねー。


もう1つは、心のどこかで「神様」を信じているから。
著者によれば、「ポジティブ・イリュージョン」という概念があるらしい。
「何の根拠もないが、自分の運はそれほど悪くない」、と思うことである。
著者は、「基本的自尊感情を別の言葉で言い換えれば、その日々を楽しく生きるポジティブ・イリュージョンと言ってもいいだろう」という。
私の場合、何か良くない出来事に出会っても、「きっと神様はそこまで私をひどい目には合わせない」という、根拠のない思い込み(=ポジティブ・イリュージョン)があるように思う。

私は特定の宗教の信者ではないけれど、私の心の中には確かに「神様」がいる。
新年が明ければ、神様にご挨拶するし、願い事があれば、神様にお願いする。嬉しいことがあれば、神様に感謝する。毎日、「いただきます」と言っているのだって、「今日も食事をありがとう」と神様に言っているのかもしれないと思う。
そして、辛いことがあっても、神様が試練を与えてるんだ、と思う。そして、神様は私に乗り越えられない試練は与えないはず、とどこかで思い込んでいる。
心のどこかで、神様が私を守ってくれている、と信じているところがある。

私は高校生のとき、ライフプランを考えなさい、と授業で課題を出されて、自分の人生を38歳まで、とした覚えがある。
それは、そんな先のことまで面倒で考えてられない、と思ったからのような気がするが、今は、何歳でもいいや、と思える。
神様が私に生を与えてくださっている分だけ生きればいい。時期がくれば、それはきっとそのときに神様が教えてくれる。「もう、休んでいいんだよ」と。だから、それまでは、精一杯、生を全うしたいと思う。
だから、私は、たぶん、自殺をしない。

そう考えると、私は、親や祖父母に感謝しなくちゃいけないと思う。
生を与えてくれた、ということはもちろんだが、ここで言いたいのは、私の心の中に「神様」を存在させてくれた、という点においてである。
どうして、私は、神様が私を守ってくれる、と思い込んでいるんだろう、と思ったときに、それは、物心ついたときから、「拝む」という習慣があったからのように思う。
私が幼少に育った祖父母の家には、仏様が奉ってあり、おじいちゃんが毎日、手を合わせていた。
私も、おばあちゃんに、「さちまねきも手を合わせて。ほら、まんまんあっ、て言って。」と言われ、手を合わせて、むにゃむにゃ言っていたような気がする。
お盆にはお墓参りもした。
その後、私たちは祖父母のうちを出て、引っ越したけど、そこは狭いマンションながらも、父が神棚を作っており、私はときどき、その神棚に手を合わせた。
私は、あまり深く考えずに、ただそうすることが普通のことだと思って、神棚に向かって手を合わせ、心の中で、お願い事をしたり、あったことを報告したりした。
物心つくまえからそういう習慣があったので、私の中では自然に神様に感謝する心、というのが育っていったのだと思う。
だから、たぶん、私を守ってくれる神様、というのは、ご先祖様のことなのかもしれない。
私はご先祖様とつながっている。ご先祖様はたぶん私を見守ってくれている。ご先祖様はどんなことがあっても私を裏切らない人だ。だから、それが私の基本的自尊感情につながっているといえるのかもしれない。
見返りを求めてご先祖様に手を合わせているわけではもちろんないが、でも、これまで、ご先祖様に手を合わせ続けてきたことが、自分を見守ってくれていることの根拠になっているような気がする。

神様、というのは、たぶん、運命を擬人化したものなのだと思う。
それが、仏様なのかキリスト様なのかそうじゃないのかは、宗教によるのでしょうけれども、たぶんその神様は誰でもよいのだと思う。そして、私にとっては、たぶん、それは基本的にご先祖様なのだと思う。
神様はどこにだっている。家の中にだって、旅先にだって。PCの中にだっているかもしれない。
それを見つけられる人は、たぶん、自殺をしたりしないと思う。

・・・なんかずいぶん科学的ではなくなってしまったが、畏怖心というところに、ヒントがあるような気がしましたので。


で、結論としては。
神様を拝む習慣、これは折を見て、教えてあげなくては、と。
全く特別な話ではないけれど。

子どもがどう育つか、親は育つ環境にだけは目配りをした上で、見守るしかないわけですが、まっとうな人間に育ってくれるよう、時々、自分自信がまっとうにやれてるかどうか確認しなくては、と思ったりするのでした。
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL

カレンダー(月別)
09 ≪│2017/10│≫ 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
FC2カウンター
プロフィール

さちまねき

Author:さちまねき
地味系ワーキングマザーが、ハハとしての想いや、お仕事との両立のこと、子供の成長レポート等、身のまわりの話を背伸びせず書き綴っています。

家族構成
★私(42歳♀)
  :事務職のフルタイムワーカー。2005年に男児、2010年に女児を出産。
★ダンナorパパ(4?歳♂)
  :外のお仕事も家のお仕事も頑張ってくれています。
★息子(8歳♂)
  :2005年生。食アレっ子ですが、食べられるものは増えてきました。
★娘(3歳♀)
  :2010年生。いつのまにか成長している我が家のお姫様。

良い記事がありましたら、"拍手"ボタンをクリックください。
励みになります。

---------------------------
twitterやってます。

日常生活からのつぶやきは
@sachimanekiで。
twilog(sachimaneki)

ニュース等に対するつぶやきは
@scmnk_clipで。
twilog(scmnk_clip)

最近は気軽さから、twitterが投稿の中心になっているような。
---------------------------
別blogで気まぐれに料理メモを残しています。
手料理/一期一会2





検索フォーム
ブクログ


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。