イクジな日々、おシゴトな時間。

「会社での仕事」そして「育児」という2つのおシゴトに追われながらも、「子の成長」そして「私自身の成長(いわゆる「育自」^^)」を楽しんでいきたいと考えている、Working Motherが綴るblogです。
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「教育格差」って?

これ、どこかで書いたかなあ・・・。
私、「格差」っていう言葉、嫌いですね。

というのは、私、「差」というものを悪いと思っていないのですよ。
でも、「格差」という方をすると、「差」が悪いもののようなニュアンスになってくる。

それでも、「格差」という言葉を使って何かを論じる人がいれば、私は、「『格差』なんてあってあたりまえ」と返したいと思いますね。

ここで、『格差』という言葉は、むしろ、『個性』と置き換えて、読んでもらいたい。
人間、みんな違う。個性があって、能力も差がある。
そういう個性がある人の働き、『成果』には、差があって、あたりまえ。
成果に差があるのなら、『報酬』に差があって、あたりまえ。
・・・だと思っています。



逆に、一人一人、能力が違って、成果も違うのに、報酬に差がつかない、なんてことがあったら、どうです。
人間、やる気もでませんよね。
一人一人の個性が違うことを認めて、それぞれ得意なことで存分成果を発揮させる、そして、成果に応じて、報酬を払う、私は、それは健全なことだと思っています。

『格差』という言葉に代表される、現実の問題はどこにあるかといえば、報酬分配の格差、ということだと思うんですよね。
できる人にはすごーくあげる。
できない人にはあげない。君には用がない、と言っちゃう。→だから、生活できなくなる。
・・・という最後の「生活できなくなる」ってところが問題なのであってね。

それで言うなら、不思議なことは、例えば、石川遼クンが賞金王になった、とか、CM契約数が何本ある、というところで、成人もしてないゴルファーがそんなにもらってるのって、どういうことだ、っていう話題が全くないところも、スポーツにまったく興味のない私には、不思議です。
もちろん、それだけ話題になってる人ということはすごい才能の持ち主で、魅力のある人なのだろうし、彼自身にいちゃもんをつけるつもりは全くないのですが、それだけお金を稼げるヒーローがいる、ってことは、その分、奪われる立場の小市民が大勢いる構造になっているはず、ってことに、誰も気づいてないふりをしてるのは、なぜかと。

自分が親しみのわかない職業の人だと、「そんなにもらってるってどういうこと!?」って話題になりがちな世の中なのにね。

考えてみると、所得の「格差」っていうのは、グローバル時代の産物かもしれませんね。
例えば、マイケル・ジャクソンだって、全世界にファンがいたから(世界的に売上があったから)、ネバーランド(っていう名前でしたっけ、私邸のこと)が建てられたのでしょうし。
経済活動圏がもっと小さく閉じていれば、国際間競争ってことがそんなに問題にならなかったでしょうし、その地域に存在するリソースをいかに効果的に使うか、ってことに知恵が回ったはず。
(グローバル化を一面的に悪い、と言ってるわけではありません。グローバル化が構造的に所得格差の拡大を引き起こすことを指摘しただけです。)

あ。なんだか話がちょっとそれてきた。
私が言いたかったのは、「格差」という言葉を深く考えずに使ってる例が多いんじゃないか、ということ。
「格差」が悪いというと、「個性」を認めない社会を是とする理屈になりがちなので、マスメディアの煽りを受けて、軽く「格差」という言葉を使わないでほしい、ということを言いたかったのでした。


特に、教育の問題を論じているときに、「格差」っていう言葉がでてくると、すごーく違和感を感じる。
私は、「格差」の問題っていうのは、上に書いてきたように、所得配分に関する社会構造の問題だと思っているのでね。
「教育格差」っていう言葉を使われているのを聞きますが、教育の段階では「格差」ってないですよね。
教育の段階で一人一人の生徒の能力や成果に差があることを認識するのは、単に成績の差であって、その結果、自分の得意・不得意を認識し、その後、何を学べばいいか(不得意の克服とか、自分は何に向いているからどの分野の勉強をしていくとか)の指針にするためのものだと思うのですね。
それが、将来の所得格差に結びつく、っていう話を論じているのかもしれないけど、それは、労働市場における構造の問題で、教育問題の中で論じる話ではない。

よく話題にされるのは、所得の多い家庭の子どもは、それだけ多く教育にお金を投入できるから、成績もよくなり、将来所得の多い職業に就ける。所得の乏しい家庭の子どもは、将来、所得の多い職業に就く可能性を閉ざされる、っていう話です。
まあ、その傾向は事実としてあると思います。
でも、子どもが育つ根っこの部分というのは(教育現場にではなく)家庭にあるはず。
子どもがよりよく育つかどうかは、親の価値観によるのではないでしょうか。
高学歴を受けた親は、子どもを高学歴にしたいと願うし、スポーツが得意な親は、子どもをスポーツを得意にしたいと願うし、実際、子どもをそのような環境に置こうとするでしょう。
逆に、自分が叶えられなかった夢を、子どもに託そうとする親もいるでしょう。
子どもの幸せを願う気持ちは、どの親にも共通でしょうが、その実践は、親によってかなり違いがあると思います。その違いの方が、所得の差よりも、子どもへの影響が大きいんじゃないかと。

確かに、学校でも塾でもお稽古事でも、いい先生につくことができたら、それだけ子どもの才能が伸びる、ってことは期待できると思います。
そして、お金があれば、いい先生に出会う可能性は高いかもしれません。
でも、それも可能性が高い、ってだけでね。確実な話じゃありません。「ぼったくり」って言葉もありますからね。高ければそれだけありがたいんじゃないか、っていう、後光効果でビジネスを展開している人もいるわけで。逆に、いい先生が良心的な価格でノウハウを提供してくれるサービスだってあるのですから。
それに、仮に、才能を伸ばす実績のある先生に出会ったとしても、子どもの側にそういった才能があるとは限らないわけで。4歳児くらいになると思うのですが、やっぱり子どもには生来の性質というのが少なからずあるんですよね。親がこういう子になってほしい、というのと、子どもの生来の性質が一致しているとは限らない。(まあ、遺伝というのはありますから、一致している例も多いと思いますが。)親がやらせたいことでも、子どもが興味を持てなければ、そこに大枚はたいても無価値なわけです。

なので、所得があれば子が伸びるってのは、半分幻想だと思います。
子どもとの接し方や、子どもの伸ばし方を考えている親御さんの子の方が、子は伸びるということだと思います。
(もしかすると、高所得の親御さんにそういうスキルが高い人が多く、それで子どもが伸びるように見えることはあるかもしれません。)
【 2010/02/01 (月) 】 世の中に対して | TB(0) | CM(13)
単純に……
高所得であれば、低所得な家庭より、お金がかけられる分だけ、容易にいろいろな経験、学習ができたり、よい先生にめぐりあえるチャンスが広がったり、選択肢が増える。それを格差と言っているんじゃないでしょうか?お金がないということは、行動範囲も狭められますから(´Д`;)
【 2010/02/01 (月) 】 編集
まゆさんへ
コメントありがとうございます。
まゆさんのおっしゃっている、お金があれば選択肢が増える、という点については、同意します。また、この記事に対して、まゆさんのように感想を持つ方は多いように思いながら、書きました。
ただ、その程度のことであれば「格差」とは呼んでほしくない、ということで、この記事を書いたように思います。「格差」という言葉には、低所得な家庭からは低所得な子が育つというスパイラルが定着し、そこから抜け出せない、というニュアンスを感じます。まゆさんがコメントくださった内容より、もう少し悲愴なイメージが付随するように思うのです。
そもそも、私たちが子どもの頃、それよりもっと前から、家庭によって子どもの経験内容が変わるというのは当然のことであったろうと思いますが、そのことを「格差」とは呼ばなかったと思います。
生活ができないほど貧困な家庭も実際増えていると報道されているので、その部分は「格差」という言い方で社会の注意を喚起することも必要なように思いますが、最近は、むしろ普通の家庭がまゆさんのおっしゃってるような認識で、「格差」を気にするケースが多いように感じます。
【 2010/02/01 (月) 】 編集
No title
差というのは必ずあって、資本主義である以上、おっしゃることはわかります。
ただ、

>「格差」という言葉には、低所得な家庭からは低所得な子が育つというスパイラルが定着し、そこから抜け出せない、というニュアンスを感じます。まゆさんがコメントくださった内容より、もう少し悲愴なイメージが付随するように思うのです。
 
私はまさにこのように「格差」という言葉をとらえています。
実際に辞書では「資格・等級・価格などの違い。差」とあり、等級などがあって、そこから抜け出せなかったり、単なる「差」よりも、壁や階級があるような、そして、言いすぎなのかもしれませんが、その壁や階級を乗り越えられないような、ニュアンスを感じています。
 
で、実際には、そのスパイラルから逃げ出せない、超えられないのは、まずいのではないかと。そういう「格差」もできあがりつつあるのが現状なのでは?と思います。
勝間和代さん語録ですが、「資本主義である以上、差はあって当然だ。でも、その差が世代を超えても、越えられないようではあっていけないので、奨学金制度などの充実は必要」といっておられました。
 
話はとびますが、拙ブロガーさんのブログで「地域格差」についても述べられていて、たしかにこれもあります。
そのブロガーさんいわく、「龍馬伝でやっているような、昔の格差ほど大変じゃないんだから」といわれ、たしかに、いまは手形を偽造しなけりゃ、どこかにいけないわけでもないし、、、と思いましたが、まあねえ、地方に住んでいると、いくらネット社会が発達しても、実物をみて買えなかったり、全国共通●●券とかが使えなかったり、生の授業を名物講師からうけられなかったり(サテライトならあるのかもしれませんが)・・・みたいなことは多々ありますしね。百貨店もないので、季節による流行のファッション・・・なんてものをウィンドウショッピングする機会もない。。。龍馬の気持ちもわかります。
 
で、その前述ブロガーさんにいわれて思ったんですが、龍馬伝みたいなふるい時代じゃないわけだし、確かに、龍馬伝ほどどうしようもない時代じゃないということを救いに思い、昔に比べたら小さいという現代の「格差(地域格差も含む)」はあるという前提にたって、個人的に何とかする方法はあると、おもうようにしました。
 
こちらで知り合った高校の数学の先生(育休中)いわく、「子供が中学生になったら、都会の全寮制の中学に入れる。ここに住んでたら、とんでもなくレベルがひくくなる一方だから」とのこと。驚きましたが、能力がある場合は、個人レベルでこういう対処をしていかなければいかないのだと認識しました(うちはおそらくそこまでの能力に達するかはわからないので、関係ないなと聞き流しましたが)。
 
ま、そこまですれば、階級から抜け出せるというか。。。逆にそこまでするには、いったいいくらかかるんだともおもいますが。
それでもそうしたければ、個人レベルでなんとかしてみるしかないんでしょうけれどね。
そして、それも、仕方ないのかもしれません。都会で一軒家を建てる値段で、へたすりゃ、こっちでは3軒~4軒、同じ大きさの家が建ったりすることを考えると、結局そういうことなのかな?なんて思ったりもします。
 
勝間さんのいうとおり、奨学金制度などで能力のある人材が、経済的理由でどうしようもない場合は、救うことが大切だとは思います。今はそういうセーフティネットが少ないので、どうしても格差という言葉が問題になり、生まれるんだろうなとおもいます。逆に、能力のある人は、飛び級を認めてもいいのかなとも思いますが。今までは日本はどうしてもみんな平等だったので、こういう考え方が取り入れられなくて、習熟度別クラスもはじまったばっかりですしね。誰もが垣根をつくられない、縛られないシステムがあれば、「格差」ではなく「差」になるのかなと思いますが。
 
うちは、ブロガーさんのおかげで龍馬伝の「これでもか、これでもか」と身分差別を受ける岩崎弥太郎(三菱の創始者)のように、ガッツを持つことも必要なのか?と思うようにし、「地方にすまなければ、格差にも鈍感で、何も感じずにふらふらしていたかもしれない。危機感を持って、この地方から全寮制に行くような子がいるということを早いうちから認識し、敏感にアンテナをはることで、格差にキャッチアップできるかも、いや、もしかしたら、ちんたら何も考えずに物質的にも交通にも恵まれている都会の人をガッツで追い越すきっかけになるのかも」などと、逆説的に思うことにし、たくましく生きていこう!なーんて、自虐的に考えております(苦笑)。めざすは弥太郎でしょうか???
【 2010/02/01 (月) 】 編集
No title
さらにつけくわえで。
今読もうと思っている本が、坂元京子さんの本で、この方、普通の専業主婦で、尼崎在住だったのですが、その地域の公立は最悪だと知り、先生の授業で足りなかったところを自分で家で子供たちに教えたりと、いろいろ工夫して、自分で子供たちを教育し、3人の子供を東大、京大に合格させたそうです。
そんな手もあるのかぁ。。。と思い、学校とは別に、個人レベルでどうにかする方法をその本から学びたいなあと、興味を持ちました。読んだらブログ記事にする予定です。
また、奨学金も、今までの育英会では、残念ながらお粗末かなと。
家庭の所得や成績に応じ(今までの育英会も所得調査や成績調査もありましたがそれ以上に詳細にやって)、貸与ではなく返済義務を課さないものや、所得によっては、教科書以外の教材や就学支援もあれば、セーフティネットとしての機能が働くのではないかとおもいます。こういうのがない限り、やっぱり、「差の固定化」=「格差」はスパイラルでそのまま脱出できないのではないかと。
ちなみに、私は、高校の成績がひどかったので、成績が足りず、育英会の調査結果は×でしたが、友人がいまだに返済しているのをみると、安易に借りなくてもよかったかも、なんて思います。
大学の友人の半分以上は借りていまして、やっぱり所得が低い家庭が国公立にがんばって勉強して(宅浪も多かった)くるんだなあって思いましたんで。。。
【 2010/02/02 (火) 】 編集
ちゃいさんへ
コメントありがとうございます。
えー、お気づきかもしれませんが、この記事は、ちゃいさんの「格差はしょうがない?」の記事にインスパイアされて書いたものです。ちゃいさんがその記事でおっしゃりたかったことに直接応える内容」じゃなかったので、自分のブログで書いてみました^^;。

さて、コメントいただいて、ちゃいさんが「格差」という言葉に感じているニュアンスというのがわかりました。
『単なる「差」よりも、壁や階級があるような、そして、言いすぎなのかもしれませんが、その壁や階級を乗り越えられないような、ニュアンス』ですね。
ただ、私はちゃいさんのご家庭は「普通の家庭」だと思っているのですね。
最初に「教育格差」という言葉を誰かが提唱したとき、そこで格差づけられているのは、日々の生活が成立しないほど収入の少ない家庭で育った子ども、だと思うのです。(私自身は、報道はされるので、そういう社会状況なんだな、と認識していますが、そういう家庭が知り合いにないので、現実感をもてないではいるのですが・・・。)でも、ちゃいさんのご家庭は、日々ちゃんと生活できていますし、私立小学校を検討するほどの余裕はないとのことですが、習い事を試したり、ブログで問題提示したりするお金や時間はあるわけですので、やっぱり「普通の家庭」かな、と。
ですので、「格差」と感じるときに、ご自分がその格差づけられている側だと書いてらっしゃるとすると、それはあてはまらないんじゃないかな、と思いました。

同様に、「地域格差」という言葉にも、私は違和感感じますね。
「地域差」でいいじゃん、と。
地方に住んでいると商業社会の恩恵は受けにくい、というのは事実でしょうが、自然に恵まれているわけですし。その地域での伝統や郷土色っていうのもあると思います。
(地域の人が誇りを持って、そのよさをアピールしていけば、観光や移住で人が集まるかもしれない。逆に、住んでいる人がそういうよさに目を向けようとしないことに危機感を感じます。)

それにいつもブログを拝見してますが、「ちゃいさんとこは大丈夫だよ~」と思っちゃうのですね。情報収集能力と発信能力がずば抜けてますよね。集めた情報を実践し、さらに子どもを観察して悩みながら育児をされている、いいお母さんだと思っています。
1号ちゃん、2号ちゃんだって、かわいくて優秀なお嬢さんだと思ってますよ。ちゃいさんはオールラウンドな子どもさんを羨ましく思う傾向があるように思いますので、それに引きずられすぎなければ、それぞれに幸せをつかむように思います。

私はちゃいさんが自分のご家庭をさして「格差」を感じているのなら、ちょっと被害妄想なんじゃないかと思います。
これは個人的にちゃいさんだけがそうなんじゃなくて、きっと多くの家庭がそうなんだろうとも思います。
普通の家庭が、うちは足りないんじゃないか?という危機感をそれぞれ持っていれば、そりゃ教育投資熱はとまりませんよね。
そういうものを引き起こすキーワードとして「教育格差」という言葉があるように思いました。

龍馬伝は見てないです~、ごめんなさい^^;。
勝間さんが教育に関しておっしゃってることは、おおむね異論がないです。

ちゃいさんが発信する情報は、その「ガッツ」がなしているものだったんですかね。ちゃいさんのブログは、私の貴重な情報源でもありますので、その意味では、私も助けられているのかも^^;
【 2010/02/02 (火) 】 編集
再コメです
私の杞憂や被害妄想であれば、それが良いとは思いますが・・・残念ながらそうではなさそうな気もします。
 
たしかに「格差」とは大げさな・・・といわれてしまうと、そうなのか?とも思うところもあるのですが、やっぱり「地域差」については「地域格差」だと思うんです。ちなみに私もこちらに来る前は「地域差」だと誤解していましたが。
 
>地域の人が誇りを持って、そのよさをアピールしていけば、観光や移住で人が集まるかもしれない。
 
とありますが、ここ数年、観光地はのきなみ旅館が倒産し、その旅館を支えていた融資先の銀行まで倒産・・・。これが地方に来て「現実なんだよな」と思いました(主人は営業なので、旅館業もお客さんにいるそうです)。
そして、不況になると、工場地帯の周りは、住人がおもいっきり減ってしまう。リストラされて、工場閉鎖、そして、自治体の税収の半分が減ってしまう・・・みたいな話はこの辺ではよくある話です。
また、ある町では住人の8割がある1つの会社関係者ということで、その会社の景気で、自治体人口が変動するとか。
ちょっと前に新聞にのっていた、愛知県の人口が減ったというのも、トヨタの不景気と関連しているからでしょうね。
今は、有楽町西武の撤退がニュースになっていますが、こちらの地域ではすでに5年ぐらい前に、百貨店がどんどん倒産して撤退したそうです。
 
たしかに地方のよさというのもあり、自然もさることながら、物価が安かったり、前述したとおり、1軒分で3軒の家が買えたり・・・みたいなことはありますが、その分、地方格差で給与格差があったら、物価が安くて当然なのかも?とも思いますしね。
 
それから、残念ながら、私の大学時代の友達は、奨学金制度を受けている人が多く(半分以上)、彼らいわく「やっぱ、低所得だよな。。。うちって」という認識でした。中には所得制限で、奨学金をもらえない家庭の友達もいるにはいましたが。。。
私のうちの所得はクリアしていたのですが、なんせ、私自身の高校の成績がわるくって、審査に引っかかりませんでしたが(苦笑)。
今もそうですが、当時も「貸付」であって、全額保障(返済義務なし)ではないので、友人たちも、勤続20年近くも働いて、まだ返せていない状況です。
これって、やっぱり「格差スパイラル」じゃないかと。
うちの子供たちも、やっぱり奨学金を受けないと、大学には通えなさそうだし。。。。(多分所得もクリアして、制限にひっかからないでしょう)。

また、この時期、4月から、パパをおいて(パパ単身赴任)、都会へ戻る家族、新幹線に乗ってまで私立に通いだす子、はては全寮制の学校まで視野に入れている子・・・などの話を聞くと、我が家も脱出しないといけないのかな?と、おいてけぼりをくらったような気持ちになります。とてもじゃないけどそんな経済的余裕はどこにもないし(単身赴任なんて、二重の生活費で、社員寮などがない場合は大変みたいですし)。
実は私自身、中学ぐらいから大手予備校の講習をいくつか受けていたのですが、こちらは大手予備校がまったくありません。地元の予備校が昔はあったそうだけれど、つぶれたそうで、成績の良い子や浪人生は、予備校のある都会まで電車で行くそうです(爆)。
私の同僚は、公立高校の進路指導で「この模試の結果だと、大学入試は全滅します」といわれ、予想を裏切り、志望校全部合格したのだそう。予備校もないので、データも少なく、高校の先生がやる進路指導も「いい加減」だとのことで、それにはさすがに参ったとのことでした。
 
まあ、そんな環境でも、なんのこれしきで、個人でがんばって、ガッツで行くしかないんでしょうけどね(笑)。
【 2010/02/02 (火) 】 編集
ちゃいさんへ
再コメント、ありがとうございます。おかげで私もいろいろ考えるよい機会になりました。

「地域格差」についていくつか例を挙げていただきましたが、それらはやっぱり、私は「地域間の経済力の差」ということを指していると思います。
例えば、東京と沖縄を比べてみると、経済力では沖縄の方が圧倒的に貧弱ですが、それでも沖縄に魅力を感じる人は多いですよね。私は観光で訪れたことがあるだけですけど、移住した友人もいます。それから、こないだは雑誌(「Very」だったかな?)でも「湘南に住む」特集をしていました。それらの土地は経済力で人を惹きつけているわけではなく、都市圏にはない個性が人を惹きつけているのですよね。
「経済力」をものさしにすれば、ご指摘のような「差」はありますし、それを「格差」と感じる気持ちはわからないこともないです。というか、私も同じ立場になれば、きっと、「こんなの格差じゃん!」と言いたくなるのでしょう。それでも、私は、「格差」という言葉を自虐ネタ的に使うのは構わないと思うのですけど、「これは格差だと考える」と問題提起として使われると、「格差是正」という言葉が対になってでてくるわけで。私はこの文脈で「格差是正」という言葉を聞くと、個性あるものを、経済力という単一の指標をもって差をなくそうと働きかけようとする、ということに、かえって活力を削がれるのではないか、と思っています。この記事を書いたとき、私は、「格差是正」というその統制的な言葉に、直感的な嫌悪感を感じた、ということかもしれません。
で、これまで話題になってきた『格差』といえるかどうかという話、家庭の「所得」という話も地域の「経済力」という話もいずれも行動の「果実」であって、そもそも、個人の『能力』や地域の『魅力』という「種子」があって、それが経済活動に生かされているから得られるものだと思うのですね。
『能力』や『魅力』というものはそもそも「個性」と不可分なものだから、総合的に計測することはあまり意味がないし、それ自体が『経済力』と直結するわけではない。お金にならない能力ってのもありますしね。だからといって、「お金にならない能力」をないがしろにしていては、「お金になるかもしれない能力」の方も十分伸ばせない可能性もある。一人の人間の中で、それらは相互に関連しているものだと思いますから。
教育の話は、個人(そもそもの文脈で言うと「子ども」)の『能力』をいかにつけるか、という話だと思っています。それは、子どもの好ましい個性を伸ばすことかと思っていて、それはお金をかければかけただけ伸びるものだとは私は思っていないのですね。むしろ、母親(子どもにとって一番身近で世話をしてくれる大人)が、どのように価値観を教えるか、とか、工夫をするか、とか、要は教育の基礎は家庭で作られるものではないかと。母親が自分には足りないと思ったものをよく吟味した上で一部外注に出す分には構わないと思うのですけど、それでも一番は家庭での教育方針があってこそで、無方針に(例えば、みんながやってるお稽古だからうちも行かせなきゃとか)教育費をかけてもしようがない。
でも、今、世の中で言われている世論の中には、教育費にお金をかけられる高所得者はいいよな~、うちはお金がないからああいうわけにはいかないよな~、と、表面的なデータ(所得と成績の相関関係とかね)だけ見て結論付けている話があまりに多いような気がして、なんかそれってあまりに現象面しか見てなくて、解決には結びつかない問題の捉え方だよな~、と危機感を持っている次第です。

奨学金制度の話は考えるべき話だと思いますが、私自身はこれについて深く考えてみたことがないので、自分の意見としてはコメントはひかえますね。

地域脱出等の話は、たぶん、なまじ都市圏に通うことが可能なために生じてる現象のように見えますね。(今、注目されている秋田とかでは、そういう現象はありえないですよね。)だから、その現象も、住んでらっしゃる地域の特殊性という気はします。

とはいえ、地域環境は個人の力でなかなか変えられるものではないですから、ちゃいさんが個人的に「これは格差でしょう!」と言いたくなる気持ちはわかります。
そのガッツを応援してますし、これからもブログでの情報発信を楽しみにしてます^^
【 2010/02/03 (水) 】 編集
また再コメです
確かに、私も地方転勤がなければ、「格差是正」という言葉に違和感を感じたでしょうし、地方の現実を知らずに、それはしょうがないのでは?と思っていたと思います。
 
そして、今は「言うほど格差」ってもんじゃないといわれると、そうなのかもしれないのですが、これが固定化し、親、孫の世代まで階層化され、しかもその階層が「階層から抜け出せず、逆転一発ホームランってわけにはいかない、ずっと固定化」ってことになることが、一番怖いです。
もしかしたら、いまぐらいならまだいいけれど、これがもう、階級でそのまま上にも行けない状況になってしまったら・・・
そう思う人が多いので、みんな今のうちに「格差、格差と騒いでおけば、そこまでひどく貧困層が増えないのではないか?」という危機感の考えの方が多くなって、騒いでいるんじゃないかとも思えます。
 
沖縄の例ですが、うちは全国転勤もなくはないので、沖縄も視野にいれておかなければいけないのでしょうが、お友達には非常に申し訳ありませんが、「自然がいいから(それを優先して)引っ越したい」とは今の状況では思えません。子供がいなかったり、自分の老後なら話は別ですし、魅力を感じますが。
これは、子供がいる以上、教育を考えなければならないからです。
もし、仮に、全国的に教育格差が少なく、学力テストの県別順位もそれほど差がなければ、そういう風には思わないのかもとも思います。
もちろん、教育だけがすべてではなく、自然を優先して引っ越される方もいらっしゃるでしょうけれど、このように考える子育て世帯は少なくないんじゃないかと思います。
逆に、私は、札幌ならば、引っ越してもいいかもとも思います。
義両親、夫の親戚は札幌出身なのですが、公立進学校が東西南北に4つありますし、帝大もありますから。
ただ、彼らもいいますが、「最近は(本州の)●●大学付属とか、私立の勢いがすごく、公立はどんどん劣勢」だということです。
そして、地方都市全般と同じく、札幌も地域経済はかなり厳しい状況です。
沖縄も、観光収入に頼っているだけではなく、コールセンターの誘致、工場の誘致が盛んで、そちらの税収も増えてきているのが現状だと思います。
結局は、経済格差はどうしても、どの地方都市でも問題なのでしょう。 
湘南においては、そのほとんどが首都圏に勤務されておられるのではないかと。また、予断ですが、湘南地域の公立高校出身者(S高、Y高、TK高)は私の知り合いに多いですが、「昔は優秀だったけど、いまは私立においやられている」という現状だそうです。
秋田も、パパが単身赴任して、家族は仙台に引っ越す人が多いと聞きますよ。もっとも秋田は学力テストの順位は高いですけれど。。。
 
つまり、地域の魅力といっても、それは人を集めるほどのものにはとうてい難しくなっているのではないかと。しかも、それと引き換えに、教育が抜け落ちるのだとしたら、老後や子供がいない世帯には関係ないけれど、子育て世帯で、教育を重視したい家庭には、かなり厳しい現実なのだと思います。
 
だとしたら、次世代を担う、教育だけでも、せめて、全国平等に・・・と願うのが、私の持論です。
 
もちろん、教育に関しては、個人の努力で、地域格差をカバーできる部分もあるとおもいます。しかしながら、限界もあります。
 
以前、拙ブロガーさんが、東京のとある商店街に久しぶりにいったら、すべてフランチャイズの店に変わっていて、その町らしさがなくなっていたと嘆いておられました。
実は、以前、私も、その町に住もうとして、不動産屋さんに「ここの商店街は全部20時でしまります」と聞いて、却下したおぼえがあったんです。独身だったので、帰りは遅く、20時では間に合わないので。。。
便利さを取ると、どうしてもフランチャイズや画一化した店が増えていくのは、仕方ない・・・と地方に住んでいると本当にしばしば思うのです。うちのあたりも、実家のあたりも、この波はどんどんときております。
 
「地方の特色や魅力を」と言うことは簡単なのですが、実際には難しい・・と、実感するのです。
そして、地方の特色をだしている地域は「老人はバス無料」みたいに、老人の老後の居住地を提供している地域が多いのではないかと。それより下の世代の居住を誘致するのには、工場や会社の誘致になるでしょうから。
 
せめて、教育だけは、地方都市は地方都市だからこそ、力を入れてほしいな・・・と思うのです。
「格差」と騒いでいるのは、私を含め、それを身近に感じている人がいるからなのだとおもうのです。
【 2010/02/03 (水) 】 編集
ちゃいさんへ
結局のところ、私はこれまで「階層」や「壁」を感じたことがないのだと思います。
運と能力があって、社会人になるまでの経歴に関わらず活躍している、と言う知り合いの方が、私には思い浮かびやすい。(もちろん、全員リスクテイカーです。)だから、自分の経験に照らして、貧困が階層が世代を超えて固定化する、という気がしない。だから、「格差」と言う言葉にはやっぱり違和感を感じます。『これが固定化し、親、孫の世代まで階層化され、しかもその階層が「階層から抜け出せず、逆転一発ホームランってわけにはいかない、ずっと固定化」ってことになる』と、私にはそこまでの想像ができない。
しかし、「階層」や「壁」があるように見えるちゃいさんが格差と言う言葉を使うのは正しい使い方だと思うようになりました。
今の世の中の気持ち悪さ、というのは私も感じますし、憂えているし、その解決策も自分なりに考えたいと思っていますが、問題がどこにあるかという捉え方がちゃいさんとは根本的に違うようです。
コメントくださったことで、自分がどうしてこういう考え方をするのかの前提が見えてきました。また、機会があれば、こういう問題について、話しあえるといいな、と思っています。
【 2010/02/03 (水) 】 編集
No title
興味深く読ませていただきました。

>(もしかすると、高所得の親御さんにそういうスキルが高い人が多く、それで子どもが伸びるように見えることはあるかもしれません。)

これはあると思います。
高所得の親御さんは大抵の場合、高学歴であったり、なんらかの形で自分のスキルアップをしている方が多いので、アドバイスがしやすいのかなと。
高所得でなくても、そういうスキルがある方はやはり、ご自身がそういうセンスがあるのかもしれないし。


今、経済的な格差が教育格差として話し合われてしまうのは、やはり学歴が高いほうが高所得を得やすい部分があるからではないでしょうか。
誰しも自分の子に経済的な苦労はさせたくないでしょうから、学歴をつけるのが手っ取り早い。むしろスポーツとか芸術関係などのほうが大変ですよ。自分の持っている能力を伸ばすだけでなく、維持しなければなりませんし、年俸10億ももらえるプレイヤーには誰もがなれるわけではありません。
石川遼君の賞金の話は、自分には遠い世界のことだから問題にすらならないんです。同業だって、彼に近いレベルの人なら悶々とするだろうけど、そこまで行かないレベルなら、しょうがないと諦めてしまうと思います。
(私も世界的なピアニストのギャラを自分がどうしてもらえないの?なんて考えるほどノーテンキじゃありませんもん。売れっ子ピアニストやピアノ教育者はやっぱり、それなりのものを持っているし努力もしていることを知っているからです)

私はむしろ、地方だと選択肢の幅がないというほうが問題だと思うんですけどね。地元を出られる子ばかりじゃないでしょうし…。私の同期で、地元には音大がまったくないという子もいましたが、家にお金があって下宿代出してくれるからここに来られたんだと本人が言ってました。
【 2010/02/03 (水) 】 編集
そうですね
私も自分が書いたコメントを改めてみて、こんなに地方の状況を知っているなんて、われながら・・・と思ってしまいました。
おそらく、2年間、こちらの地方紙をじっくりよんだり、全国紙の地方版をしっかり読んでいるからでしょう。
実家に帰っても地方版は地方のことがわかるので、必ず読んでいるし。
夫の業績が上がらないことには、次の転勤がないので、地方の業績とか、会社のあり方については、いろいろと研究しないといけないですしね(苦笑)。
 
地方に住むと、もしかすると、子供、孫の代まで、転勤におびえながらも、ここに住むことになるかもしれない・・・という気持ちもなくはないのです。望むか望まないかはわからないけれど、子供が「転校したくない」という気持ちは私も夫も転校経験者なのでわかるし(夫は5度ぐらい経験しております)、そこにずっといたいという気持ちは尊重したいから。
となると、地方から脱出しないことになるかもしれず、そうなると、あえて「格差」とかきますが、格差からは脱出できない階層になるかもしれないから、恐怖を感じます。
 
もちろん、個人で克服することもある程度は可能ですけれどね。
 
前のコメントでは「学力」ばかりに視点をおいて書いていますけれど、たしかに家庭でできる「しつけ」や「育ち」に関しては、学校や地域に頼るのではなく、家庭において努力も工夫も必要だと思います。
ただ、よく聞く話ではありますが、低所得層(生活保護などを受けるような)地域ってのは、どうしても地域性があって、その子たちに責任はなくても、親のしつけや生活習慣が違ったり。。。それが影響でいじめがあったり、学力低下があったり、学級崩壊があったり・・・というのもありえる話です。もちろんそれにひきずられないように個々の努力も必要でしょうけれどね。
  
学力があるからしつけも・・・ってことはイコールではないし、経済的に裕福だから、しつけもできているってこともないから、学力よりもしつけや各家庭の習慣はさらに重要でしょうけれど、その一方で経済的なものと、しつけも、まったく関係ないわけでもないと思います。
 
私がここまで思うのは、職業柄、どうしてもわかってしまうのですが、生活保護世帯の多い地域と、高所得で所得制限を受けている地域の差を、まざまざと見ているからだと思います。本当に、居住区によってぜんぜん違います。
多分、普通に生活している人よりは、敏感に感じる部分もあるのでしょうね。
 
ただ、地域経済に関する問題意識は私にもありますが、解決策が見つからないので、どうするかなぁとも思っていますが。特色を出すことは難しいと前に書きましたが、難しいながらもがんばっている地域企業もたくさんありますし。。。。解決できるといいのになあとも思います。
教育については、やる気のある人や、低所得者に対する、貸与ではない奨学金で、ある程度、解決するのではないかとも思います。いまの奨学金制度でははっきりいって、足りなさすぎ。
義務教育では、単純に、疲弊されておられる先生の負担を減らすことも含め、先生の数も増やしてほしいですが。そして先生の数が増えれば、習熟度別クラスもたくさんできて、充実するのかなあと期待しています。
「格差是正」といっても、底上げは歓迎ですが、上を下に合わせることは必要ないとおもうので。。。
【 2010/02/03 (水) 】 編集
ことなりままっちさんへ
コメントありがとうございます。
私も最近、芸術方面に進もうとしている子ども(成人)の親御さんと話をする機会がありました。いまだにお金がかかったり、将来不安を感じたりで、事務系で手堅くやっている私のことをうらやましがっていました。。。
やっぱり芸術方面は、お金もかかるし、成功の確率は高くないし、で、大変みたいですね。
(逆に私はお勉強ができることくらいしかとりえがないので、それ以外のことで才能をお持ちの方には軽いコンプレックスがありますけどね^^;)
石川遼君の話は所得分配の事例を考えるときの例として出したのですけど。家で年を越せない人がこんなに派遣村にいるとか(貧困層がこんなにいる)、認可保育園の保育士さんの給与が高すぎるとか(もらいすぎてる人がいる)、そういうことがトピックとして取り上げられているなら、どうして彼はもらいすぎの事例で取り上げられないんだろうか、という(あ、遼選手が悪いわけじゃないです。そんなゴルフ等スポーツ界ってどうなの、という意味で)。もらいすぎてるかどうかなんて、当事者とその仕事ぶりを知っている人でないと、わからないですよね。だから、保育士さんの給与の問題でぐだぐだ言うな、と思ったのが、本音かも。
『今、経済的な格差が教育格差として話し合われてしまうのは、やはり学歴が高いほうが高所得を得やすい部分があるからではないでしょうか。』・・・そうですね。後半について、同意します。
前半について、私がそれでも教育格差、という言葉を嫌がるのは、どこでも同じ教育が受けれるように、均質にしてほしい、というところですね。私は、学校に個性や特色があって、その中から学校を選べる、という状況を望ましいと思っているので。
ただ、現時点では、地方の実情まで自分なりに考えつくしていないので、わからないのですが。。。
【 2010/02/04 (木) 】 編集
ちゃいさんへ
再コメントありがとうございます。
これまでのコメントで、本当に問題意識を持って、いろんな情報をもってらっしゃることは伝わりましたよ^^
私は運良く仕事にありついた者なので、それまでの経歴によらずそれなりの仕事をしてらっしゃる方を知る機会の方が多いのです。なので、育った家庭がそれなりでも、能力と努力と運があれば挽回はありうる、と知っています。ただ、それは「運」が大きく介在していることは間違いなく、運が少し悪ければ、今の自分はなかったということもありえ、ちゃいさんと同じような感じ方をしていたかも、ということは大いにあります。ですので、いただいたコメントは頭の片隅に置いておきたいと思います。
奨学金のこともそうですね。私は奨学金のことで苦労していないので、制度にどのような問題があるのか考えにくいです。(今の制度では十分に機能してないのだろうなあという想像はつきますが)
一人一人の能力をその個性にしたがって存分に伸ばすことができ、そして、それを生かせる社会の仕組みがあり、その結果として各家庭が満足して生活できる、(そして、子どもを十分に伸ばせる)、という社会になればいい、と願っています。
今の世の中は、それらのひとつひとつちょっとずつ狂って、全体として抗えないような大きな力になってしまっていますよね。私たち個人ができることは限られていますけど、限られているなりに、考え、発信していきたいですね。
【 2010/02/04 (木) 】 編集
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さちまねき

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  :事務職のフルタイムワーカー。2005年に男児、2010年に女児を出産。
★ダンナorパパ(4?歳♂)
  :外のお仕事も家のお仕事も頑張ってくれています。
★息子(8歳♂)
  :2005年生。食アレっ子ですが、食べられるものは増えてきました。
★娘(3歳♀)
  :2010年生。いつのまにか成長している我が家のお姫様。

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