イクジな日々、おシゴトな時間。

「会社での仕事」そして「育児」という2つのおシゴトに追われながらも、「子の成長」そして「私自身の成長(いわゆる「育自」^^)」を楽しんでいきたいと考えている、Working Motherが綴るblogです。
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子どもを叩くこと

ベネッセの教育情報サイトに、「教えて!親野先生」というコーナーがある。
その最新の相談は、「しつけのためなら、たたいてもいい?」というもの。
(ベネッセの教育情報サイトは、会員登録しないと全てを読むことはできません。未登録の方、すみません。登録は無料ですので、興味があればどうぞ。)

この相談者の友人は、3歳と6歳のママなのだそうだが、「3歳では、やってはいけない理由を言ってもわからないこともある。それでも、ダメなものはダメと教えなければならない。しつけのために痛くない程度でたたくならいいと思う。おしりとかなら痛くないから」と言っているのだそう。

親野先生の回答は、
「私はたたくことには絶対に反対です。」
「ニュースを見ればわかることですが、暴力を振るう人は必ず理由をつけます。「その理由は正当であり、自分の暴力は正当なものだ」と言います。個人でも国でも同じです。
でも、暴力はどんなに理屈をつけても暴力なのです。暴力を正当化することはできないのです。」
「どんな理由があっても暴力は振るわない、それがあるべき姿なのです。」
というもの。

私自身も親野先生の回答に全く同意です。
親野先生のお考えも普段から主張してらっしゃることと変わりなく、さらっと読んでスルーしようとしました。

が、スルーできなかったのは、・・・読者からのコメント。

「叩いても構わない」という意見が、割と目立ったのです。
「しつけのためなら、たたいてもいい」という考えの親がまあまあいることは知っていましたが、やっぱりこのような形で意見として並べられると、それが実感として感じられます。
ちょっとショックでしたね。

いくつかのコメントのパターンがあったのですが。

そのうちの1つは、「小さな子どもは、痛い目を見ないとわからない」というパターン。
私は、そうだろうか?と思います。
このような考え方と、私の考え方では、子ども観が真逆なんですよね。このような考え方をする人は、「子どもは何も知らないし、言葉もわからない」という考え方が前提としてあると思う。私は、「子どもは賢い、世の中の常識は知らないけど、話せば理解する」という考え方です。

それから、「小さいときに(叩いてでも)きちんと教えておけば、大人になったときに、躾や礼儀作法もつき、きちんと育つ。親子関係がきちんとしていれば大丈夫」というコメントのパターンもありました。これは、単に親側の意見として、だけではなく、実際に子どもが体罰を受けて育った経験のある方からのコメントとしてもありました。
このパターンからは考えさせられました。
1つは、叩かれてる程度にもよるのかな、と思います。子どもにとって、恐怖心が植え付けられるほどの痛みだったか、それとも心の傷にもならない程度の痛みだったか。
もう1つは、叩かれることと叩かれる理由の因果関係を、叩かれる前に子どもが理解しているかどうか、というのもあると思います。
そういう意味では、同じしつけのために叩くとはいえ、3歳児を叩いていいか、ということと、小学生を叩いていいか、ということはちょっと違うような気がしますね。3歳児は、叩かれた記憶は残らないかもしれないでしょうが、そもそもなぜ叩かれたかは理解してないと思いますし。逆に小学生は、叩かれた記憶は大人になっても残る年齢ですが、自分がなぜ叩かれたかということも理解できるようになっているでしょう。

ただ、それでも私は、叩いてもいい、という考え方は、親子関係や子どもの自尊心に負の影響を与えるリスクが高い、と思いますね。
ひとつは、それが子どもにとって実際にどの程度の傷になるか、ということを、親自身はコントロールできない、ということです。まあ、確かに、暴力にも強弱はありますし、一般的には、軽く叩くだけの行為がそれほど心身を傷つけるとは思えません。しかし、それは、暴力をふるわれた側がどのように感じるか、ということが問題であって、暴力をふるった側は「これくらい全然大したことではない」と思っていても、ふるわれた側が実際にそれで怪我をしたとか、怪我をしなくても恐怖心を感じた、というのなら、それは「大したこと」なのです。それは実際に叩かれてみないとわからない。(コメンターさんがそうであるように)親の信頼を損ねない子もいると思いますが、親と上手くいかなくなる子もいる。でも、そもそも叩かなければ、こんなことで子どもを傷つけるリスクはないわけです。
もうひとつの、叩かれることと叩かれる理由の因果関係を、叩かれる前に子どもが理解しているかどうか、ということですが。子どもがそれを本当に理解しているかどうかは本人にしかわからないことだと思います。この因果関係を子どもが理解していない状態で叩かれる、ということは、「なぜ叩かれたかわからない」ということです。確かに、事後的にでも「なぜ叩いたのか」を説明することはできます。でも、後付けの理由って「言い訳」だととられかねない気がします。いずれにしても、叩いていながら親子の信頼関係を維持するためには、「なぜ叩いたか」を子どもに理解させ、納得してもらわなければならないと考えます。子どもも、よほど悪いことをした場合は、叩かれた理由を自分で理解することができるでしょう。しかし、どんなに言葉を尽くしても子どもが必ずしもそれを理解することができるとは限らず、叩いてしまった以上、親子の信頼関係を壊すリスクはゼロにはならないわけです。
だから、確かに、親に叩かれて育って、親に感謝するケースはあるかもしれませんが、それは、親によるし、子どもによる、と思います。子どもに理解させることが上手な親と下手な親がいるでしょうし、傷つきやすい子どもと精神的にタフな子ども、理解力の欠しい子どもと豊かな子どももいるでしょう。自分がそうだったからといって、子どもに同じことをしてわかってもらえるとは限らないと思います。

子どもによっては、言葉だけではわからない子もいる、というコメントもありました。
これに対しては、確かにそうかもしれないなあ、と体験的に思います。
しかし、同じく体験的に思うのは、言葉だけではわからない子というのは、言葉で理解できるように説明される機会が乏しかった子じゃないか、ということ。

あと、わりと多かったのは、親野先生の意見に対して、「きれいごと」、「理想」とするコメント。
理想は「叩かないこと」というのはわかっているが・・・という前置きが多かったですね。
ただ、前置きの使い方は2つのパターンがあって、それはわかっていて親としては辛いけど状況によって叩くときもある、というものと、それは単なるきれいごとで叩かなければ子どもはわからない、というものです。
私は、それが「きれいごと」だとは思わないですけどね。だって、他人を叩く必然性ってないですもん。人間、寝たり、食べたり、他人とコミュニケーションをとったり、生きていくために必要な行為っていろいろありますけど、別に誰かを叩いたり誰かに叩かれたりしなくても生きていけるはずです。

中には、「恐怖心を植えつけるために叱る」という投稿も複数あり、これにはびっくりしました。
私には理解できない考え方です。
恐怖心を与えて、危ないことから離れさせる、ということでしょうか。
私でしたら、なぜそれが危ないことなのかを説明し、または考えさせ、本人を納得させた上で、そこから離すように仕向けるでしょう。それでも危ないことに近づく、ということなのかもしれません。万一とっさのときに力ずくでというのなら、私はそれで子どもを捕まえてそこに近づけないようにすることはあると思います。でも、そこに叩く必要は感じません。

その他、コメントの中に「叩いてでもしつけてくれた、親に感謝している」というようなものがありましたが、それってある種のマインドコントロールかもよ、と思っちゃう私です。
子どもを叩くことが、将来暴力をふるう人を子どもの身近に引き寄せるということもありうると思うのです。
私は叩かれて育っていませんし、暴力はキライですし、叩くような人とお付き合いをしたこともありません。どんな理由であれ、叩かれるのは理不尽だと思っていますので、もし、お付き合い始めた人に叩かれでもしたら、その場で逃げたと思います。その場で逃げられなくても、なんとしてでも逃げると思います。
でも、親に叩かれて育って、それで親に感謝している、なんて人に、そういうことができるかな、と思ったりして。運が悪ければ、DVを受けることもありえますよね。(私も合わなかったとは限らないですが、でも、叩かれて育った人に比べればその可能性は格段に低いと思います。)
新興宗教でも、暴力をふるってマインドコントロールって、あるそうですし。

叩いてでも「社会の厳しさ」を教えなければ、みたいなコメントもありましたが。
暴力をふるわれなくても、社会は十分厳しいですよね。
日本が軍国で、将来徴兵されるというような社会であれば、肉体的な痛みにも耐えうるように育てる必要があるのかもしれませんが、今は、そういう社会ではないはず。
そりゃ、他の子に暴力をふるわれることもあるかもしれないけど、身内にふるわれるのと、他人にふるわれるのは、違うような気がしますね。


・・・なんだかんだ書いてきましたが、ひとつだけ、はっきり言えることがあります。

それは、私が「暴力がキライ」ということ。
誰にも叩かれたくないし、だからこそ他人を叩きたくない。
実際に他人に叩かれた経験もほとんどありません。他人を叩いた経験は少しありますが・・・(すみません)。

この「しつけのためなら、たたいてもいい?」ということに、いろいろなコメントがついていましたが、その方のこれまで育てられてきた経験や、その人の子ども観、それ以外の内容でも、その人がそれまでどんな経験をしてきて、その経験の中からその人がどのように考えたか、ということから導き出されたものであることは、間違いありません。他人の経験を否定することはできませんし、そこからどのように考えるかもその人の自由です。それに、子ども観や育児観を変えさせることは困難です。そういう意味では、私の考えと、他の方の意見は違って当然なのですが。

私は一度、物心つくかつかないかの頃、父親にお尻を叩かれたことがあります。
成人してから父に聞いたのですが、私の父は、「一度だけ叩いて怒らなければならない」と考えていたのだそうです。
私は、父親にお尻を叩かれたこと自体は覚えています。でも、なぜ叩かれたのかは全く覚えていません。痛かったかどうかも覚えていません。確かに、それは、父親との信頼関係を損ねたというほどのものではありませんが、でも、叩かれたということ自体は覚えている、ということです。それに対して、「叩いてくれてありがとう」というような感謝の気持ちは全くなく、むしろ、「私は本当に叩かれるほどのことをしたのだろうか」という軽い不信感の方があるくらいです。

他人がなんといおうと、私は自分の子を叩く気はありません。
もし、私のせいで子どもが痛がらせることがあれば、謝まって許しを請うでしょう。
確かに子どもは言葉だけではわからないこともあることがあるのだと思います。怒ってみせたりの感情は使いますが、それでも叩く気はありません。
単に、私が叩かれたくないからです。
とにかく、私は暴力はキライなんです。そこに理屈はありません。
【 2010/05/08 (土) 】 教育について話そう | TB(1) | CM(0)
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さちまねき

Author:さちまねき
地味系ワーキングマザーが、ハハとしての想いや、お仕事との両立のこと、子供の成長レポート等、身のまわりの話を背伸びせず書き綴っています。

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  :事務職のフルタイムワーカー。2005年に男児、2010年に女児を出産。
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  :外のお仕事も家のお仕事も頑張ってくれています。
★息子(8歳♂)
  :2005年生。食アレっ子ですが、食べられるものは増えてきました。
★娘(3歳♀)
  :2010年生。いつのまにか成長している我が家のお姫様。

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