イクジな日々、おシゴトな時間。

「会社での仕事」そして「育児」という2つのおシゴトに追われながらも、「子の成長」そして「私自身の成長(いわゆる「育自」^^)」を楽しんでいきたいと考えている、Working Motherが綴るblogです。
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大地震のそのとき、うちは

2011年3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震と呼ばれる地震が発生しました。
そのときのうちのことを記録しておきます。
被災した方とは比べ物にならないささやかな経験ですけど、それでも私の中では重大な変化をもたらした地震ですので。

3月11日、うちは家族4人で那須地方への旅行中でした。
やまびこ209号で那須塩原駅に到着したのが、12時半。
そこからホテルまでシャトルバスで行き、そこで受付を済ませた後、タクシーで14時に観光牧場へ。そこで30分苺狩りをした後、馬や牛などを見物したり、鯉に餌をやったりして過ごし、なんとなく手持無沙汰になったので、まあ、とにかく移動しようか、帰る?どうする?といった感じで歩いていたところでした。

「あれ?何か揺れていない?」

周りに木々があるだけで、近くに建物もない場所でした。
私たち家族4人の他に、ご婦人が2名程度近くにいらっしゃったかもしれません。
最初は揺れてる?って感じだったのが、明らかな揺れに変わり、そのうち立っていられなくなったので、私たちはしゃがむことにしました。
周りに何もなかったので、どの程度の強さの揺れなのか目安になるものがほとんどありません。ただ、近くにあった噴水の水面が大きく揺れているのだけが、地震の強さを物語っていました。
そして、揺れはなかなかおさまりませんでした。
とにかく揺れがあまりに止まないので、個人的には地面にひびでもはいってくるんじゃないかと想像して、怖かったです。

で、いつかは揺れはおさまるわけですが。

とにかくホテルに帰ろうと思ったのですが、タクシー会社に電話がつながらず。
・・・そう。先ほど、タクシーで観光牧場に来た時に、帰るときはこの番号にって聞いてた、そのやり方で帰れなくなってたんですね。
まあ、とにかくインフォメーションセンターに行ってみよう、と歩いていくと、その前の広場には団体客がいて、それぞれに携帯電話を操作して情報を集めているようでした。
私は彼らに聞き耳を立てていたのですが、そうしているうちにまた余震が。
余震があれば、広場に出ざるをえないのですが、小雪もちらつき始めて、寒い・・・。
で、余震が収まったら、温かそうな売店(土産物屋)に入ってみたのですが、すると、そこには入口近辺に酒瓶がいくつか割れ、アルコール臭が・・・。そして、周りをみると、ところどころに商品が倒れた後が・・・。
そしてすぐ「余震が心配ですから、外に出てください」と追い出されてしまった・・・。

あったかい缶コーヒーで暖をとりながら、ダンナとどうするか相談。
とにかく携帯電話はあるのに、どこにもつながらない状況でした。
で、私が、とにかくインフォメーションセンターに相談してみることを提案。
宿泊先を言うと、そこまで車で送っていただけることになりました。
・・・言ってみるもんだ。

で、車で送っていただいて、ホテルが見えてくると、そこも異様な光景。
エントランスのところで大勢の人が外にいます。
うちは赤ちゃん連れだったのを見て、お客のおばさんが、ホテルの人から配られたというタオルを譲ってくださいましたが、すぐにスタッフの方が私たちを見つけて、同じく赤ちゃん連れだと理由で、入口にほど近い部屋に案内してくださいました(外は寒いからということで)。
あと、使い捨てカイロも配られました。

とにかくそこで待ちました。
携帯で母にメールしたり(但し返信なし)、同じ場所で待っていた他のお客さんと話もしましたが、基本的にはただただ待っているという感じ。でも、退屈と言うよりは、時々余震もあり、先に何が起こるか分からないという緊張感でいっぱいでした。
その間、ダンナはロビーの大画面TVで情報収集したり、うろうろしてましたが。
 
ホテルの部屋にチェックインしたり、夕食をいただいたりできたのは、夜の7時半ごろだったでしょうか。
非常食、ということでしたが、おいしい食事でした。
また、子どものために、おにぎりと、アレルギー対応のレトルトのお総菜をだしてくださいました。
ホッとしました。

チェックイン後、母と電話がつながりました(かかってきた)。
西日本在住の母は私からのメールで地震があったことを知ったとのこと。すぐにTVをつけて驚いていたそうです。返信メールをすぐ送ってくれたのですが、センターに溜まっていて、私の方に届いていなかったのでした。
ちなみに、何度も電話をくれて、やっとつながったとのこと。
その他、弟からも着信があったのですが、結局、その日は電話をしてもつながりませんでした。

そして、その日の夜は、爆睡でした。
(翌朝、twitterで「眠れなかった(恐怖や余震で)」というツイートをいくつか見ましたが、私の場合、起きている間に緊張しすぎて、布団に入ったら緊張から解放された感じで、逆にぐっすり眠ってしまいました^^;)

3月12日。
ダンナが朝からずっとTVをつけて震災情報を得ていました。
被害の大きさにビックリ。
阪神大震災のときに関西にいた我々でしたが、今回はそれ以上の被害なのでただただ呆然としてしまいました。

私も携帯電話からtwitterにアクセス。
いつもと様相の違うTLにまたビックリ。
支援情報とか、励ましメッセージとかね。私がフォローしてる方は、やっぱり善意のつぶやきが多いというか、本当、こういうときに人間性って出るんだな~、と違う意味で感心してしまう私でした。

で、この日は、当初は外出する予定でしたが、あきらめてホテルで終日過ごすことに。
上の子とホテル内を探検して回ったり、大浴場でゆっくりしたり、散歩して回ったり。夜もとってもおいしいお料理をいただきました。

午前中はロビーが異様な混み具合だったホテルも、午後には閑散としてました。
聞けば、普段の週末の10分の1くらいの客の入りなのだそう。
おかげで、プールも貸し切り状態だったらしいです。
(午前中なぜか混んでいたのは、新幹線に閉じ込められたお客さんの一部に宿泊スペースを提供したからとか)

ホテルのスタッフの皆さんも感じよく、また、とてもさわやかないい天気で、快適でしたが、それでも、部屋に戻ってTVを見ると、どんよりした気分に。
何が不安かと言うと、少し先の見込みがわからないことが不安でした。
新幹線も翌日には復旧するかと思っていたのに、まだ目処がたたないというし。
それどころか、在来線もどうなるかわからないとか。
大きな余震もありましたしね。
ダンナとは、明日帰るべきか、延泊するべきか、話し合いました。
そのときは結論がでませんでしたが。

3月13日。
もともとこの日に、新幹線を利用して、帰宅する予定でした。
しかし、まだ復旧のめどがたたない新幹線。
しかも在来線もまだ動いていないという(一瞬、在来線はOKという情報も流れたのですが)。

そして、ホテルに延泊もできるかわからないという。
前日に、もしものときの延泊を尋ねたら、OKというお返事だったんですけどね。
しかし、今は営業停止も検討しているという。

で、前日は知らなかったのですが、うちのホテルは、普通に停電もなく断水もなく、だったのですが、それはたまたまのことで、近所ではそういったことがある地域だったらしい。きゃー。
(そんなこんなで、楽しんでいても、後ろめたくて楽しみきれない、ってことはありました。)

で、どうする?と、夫婦会議。
私は、電車が動いているところまで、タクシーで移動して、そこから電車で帰るしかないじゃん、と、主張。延泊の可能性がなくなった今、それしか、手だてはなかろうと。
それで、きっと同じことを考えているお客さんもいるだろうからタクシーも待つだろう、急いで身支度をして、帰ろう、ということになりました。
ま、実際には、タクシーを待ってる、他のお客さん、そのときはいなかったみたいですけど。

道路の混雑状況も聞いていたので、めざす駅まで、どのくらい時間とお金がかかるのか、覚悟のうえ、だったんですけど、高速道路が通行止めで使えなかったわりには、意外と早く駅に到着したようです。上の子は、後部座席でぐったりしてましたけど。
途中で、道が渋滞してる、と思ったら、ほとんどすべてガソリンスタンドの前でした。

で、電車が動いているところまで戻れれば、後は、2時間ほど在来線に乗れば、もううちはすぐそこ。

うちの方は震度5だったらしいので、部屋の中が大変なことになってるんじゃないかと心配でした。
が。
だいじょーぶでした(^○^)/。
ほっ。

・・・これで、我が家の地震体験記はおしまいです。

今回、地震を体験してわかったことは、家族全員が日々を無事に過ごしていることのありがたさ。
そして、改めて決意したことは、私は、私以外の家族3人を守っていかなければいけないんだ、ということ。もちろんダンナとは一方的に守るだけではなく、守り・守られの関係だけど。ダンナとはニコイチの関係だと、今回改めて思いました。それは、こんな災害にあった瞬間に、家族全員が一緒にいられたことと関係があるかもしれません。金曜日の午後にそれは運命的なことだったと思います。私とダンナはお互い補え合える関係であると、普段から薄々は思っていたけど、今回はっきりとそう自覚しました。そんなダンナさんと、協力し合って、子どもたちを守っていこうと。


被災された方が早く救助され、早く普段通りの生活が送れるよう、心からお祈りいたします。

なお、今回の地震で、自分が生きているということは奇跡的なことなんだと、被災された方と自分との違いは、運の差でしかなかったと、改めて感じています。
実はこれまで金銭的援助ということを実行したことがない私ですが、今回はそういうことをするつもりです。自分が被災する可能性をまざまざと想像できるので、できる範囲しかできませんが、ぜひそうしたいです。
【 2011/03/14 (月) 】 Vacation or Special day | TB(0) | CM(0)
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さちまねき

Author:さちまねき
地味系ワーキングマザーが、ハハとしての想いや、お仕事との両立のこと、子供の成長レポート等、身のまわりの話を背伸びせず書き綴っています。

家族構成
★私(42歳♀)
  :事務職のフルタイムワーカー。2005年に男児、2010年に女児を出産。
★ダンナorパパ(4?歳♂)
  :外のお仕事も家のお仕事も頑張ってくれています。
★息子(8歳♂)
  :2005年生。食アレっ子ですが、食べられるものは増えてきました。
★娘(3歳♀)
  :2010年生。いつのまにか成長している我が家のお姫様。

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