イクジな日々、おシゴトな時間。

「会社での仕事」そして「育児」という2つのおシゴトに追われながらも、「子の成長」そして「私自身の成長(いわゆる「育自」^^)」を楽しんでいきたいと考えている、Working Motherが綴るblogです。
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「母という病」を読んで

標題のタイトルの本を読みました。

いろいろ考えされられました。
そして、結構疲れました。

乳児期に母親と愛着関係を育むことがいかに大事か、という内容です。(はい、はしょりすぎです)


(017)母という病 (ポプラ新書)(017)母という病 (ポプラ新書)
(2014/01/08)
岡田 尊司

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まず言えることは、この本の分類によると、私の愛着パターンは「回避型」にあてはまると思う。

引用すると
[母親が]その子に対して無関心で、あまり注意を向けていないという場合だ。子どもが求めても、わずらわしそうにして無視する。泣いていても、なかなか抱こうとはしない。
こうしたタイプの母親を持つ子どもは、母親にあまり甘えず、母親がいなくなってもあまり悲しそうにもしない。これらは「回避型」と呼ばれる愛着パターンの特徴だ。母親はわが子が自立していて、手がかからないとおもっていたりする。
」(p.90)
とのこと。

これを聞いて、いくつか思い出した私の母に聞いたエピソードがあった。

1つは、母が2歳年下の私の弟を出産して家に帰ってきたとき、私が「まるで他人を見るような目で」母を見て、「ぞっとした」というもの。当時、私は2歳だったはずです。もちろん、私には全くそんな記憶はない。
ただ、物心ついて思っていたことは、「弟はかわいいけど、私はかわいくない」という思い。確か幼いころの姉弟の写真を見て、本気でそう思った覚えがあります。

それから、もう1つは、母が外出して、父が留守番をしていた、私が乳呑み児の頃。父は(事情があり忙しかったのですが)、ベビーベッドの上に哺乳瓶を吊り下げて、私にミルクを与えていた、というもの。
母は帰ってきてびっくり仰天、父を叱ったらしいですが、このエピソードを聞いたとき父は「それでも、○○(私)はちゃんと飲んでいたぞ」と少々誇らしげな様子。

まあ、我が両親に事情があった時期とはいえ、私の愛着パターンが「回避型」とやらになる素養は家庭内だか母だかに十分あったような気はします。
母自身も、その頃のことはなんだか苦労していたらしくて「あまり思い出したくない」と言っていたことがありますし。


そして、成人の愛着タイプとしては、私は「愛着軽視型」にあたると思う。

愛着軽視型の人は、表面的には何も問題がないという態度を取り、自分でもそう思おうとしている。母親のことも、いいように考えているか、親のことなど、自分にとっては大した問題ではないと思っている。しかし、実際には、子どもだったころには、寂しい想いを味わったり、愛情のなさを感じて育っていたという背景がみられる。
愛着軽視型の人では、親以外の対人関係においても、表面的で、冷淡で、あまり親密になるのを好まず、距離が縮まりすぎると居心地悪く感じる。思いやりが乏しく、自分の大切な人が痛みを感じていても、平然としていたりする。人間関係よりも物や仕事に関心が高い。
」(p101~102)

ばっちりすぎるほど当たっていたのは「あまり親密になるのを好まず、距離が縮まりすぎると居心地悪く感じる」と「人間関係よりも物や仕事に関心が高い」というところ。

前者は、今のダンナの前におつきあいした人たちとのことなのですが、学生時代に学生同士でそういうことになっても、「ずっと一緒にいる」という関係になったことがないのですね。というか、なりたくなかった。長く続いた人の方は、私もとても好きだったのですが、それでも、うーん、2週間に3度程度会う、って感じだったかなあ。その頻度がちょうどいいと思っていました。
ちなみに、ダンナさんとは結婚する前、毎日のように一緒にいた時期がありましたが(←付き合う前のことで、別にいたくていたわけでもないのですが)、それでも居心地が悪いと感じなかったので、結婚できた感じでしょうか・・・。ただ、よくよく考えてみると、そばにいてもなんでも共有したいという感じじゃないところはあるので、やっぱりあまり距離を縮めてない状態なのかもしれません(汗)。

後者は、圧倒的にあてはまってますね。
人間関係にはほぼ興味がないかも。というか、わずらわしいので、見ないようにしているという感じでしょうか。
仕事には興味があるどころか、仕事を持っていない自分が想像できない感じ。

ただ、そういうことが自分の「病」という自覚はなかったので、ちょっと戸惑っています。

「表面的で、冷淡」なつもりはなかったのでそこはショックなのですが。
というか、私、別に冷淡じゃないです。
ただ、そう思われてもしようがないかもなあ、と思ったり。見られ方としてはね。


そして、「母という病」を乗り越えなければならないのか、という点。

これは私にはわからないのです。

母との関係ということについては、ずっと悩んでいました。
親元を離れてから、母とはずっと距離を置いてきた気がする。
というか、母とは近づくたびに気が重くなる関係でした。

私は今は母を許した気でいます。
娘を産んで、少しは母の気持ちもわかるようになった気がしたから。
だからといって、母に近づくと気が重くなる関係に変わりはありません。
もう、それは母のキャラクターなんだと思います。
母は母自身のことを「批判精神が旺盛」で「それが自分のいいところ」と言います。私は、「批判精神が旺盛」な母のことを少しも良いところと思っていません。他人には厳しく、自分には甘い、そんな性格だから、また母自身も他人と深くかかわるのを好まないところもあるし、また他人とうまくつきあえないようなところもあって、孤独な状態になっていると思います(父とは比較的良好な関係に見えますが)。
例えばですけど、今の私にはもう帰省する積極的な動機がないんです。実家の近所には親類もいて、母には会いたくなくてもそちらには顔を出したい気持ちもあったのに、今や疎遠になってしまいました(というか険悪な関係)。また、私の育ったところとは別の地域に住んでいるので、帰省したからといって旧友に会えるわけでもない。孫の顔を見せてあげなきゃ、というのも一応あるのですが、それは母がそれくらいしか楽しみがないだろうからそうしてあげなきゃという程度の動機で、母が喜ぶ顔を私が見たい、なんて理由じゃないのです。だって、母は孫に対して甘やかさないから。そしてそんなおばあちゃんである自分に対して「そんなおばあちゃんがいてもいいじゃない」と肯定的。そして孫に対しても批判的な見方をする人なのです。弟の子(これも孫にあたるわけで)と露骨に比べます。そしてそのことを少しも害があることだと思っていない。
自分に対する批判精神が限りなくゼロに近いのです。そこに私はイライラさせられるのだと思います。

この本では、「母に伝える」という克服策も紹介されていますが、もう私にはそれも無理だと思います。
何度か母に手紙を書きました。でも、渡せなかった。理由はどうせ通じないと思うからです。
一度母がなにか「今は娘と母の関係が悪いようなうちもあるみたいなことをテレビで言っていた(だったかな?)けど、うちは大丈夫よね」と私に話しかけたことがあり、私は「さあ・・・」と伝えましたが、内心、頭かちわったろか、と思ったくらいです。どれだけ鈍感?と。
あと、この本で紹介されたいくつかのケースは、社会不適応をおこしたケース。私は、「母という病」を持っているかもしれないけど、幸か不幸か社会には一応適応できているんですよね。結婚にも子にも恵まれ、経済的自立もできている(少なくとも依存しきっていない)。ちなみに、その点は、弟も、同じです。なので、母はむしろ自分のしてきた育児にも自信を持っているようなのですね(その様子がまたイラつくのですが)。だから、母にいまさらぶつかるきっかけもないように思っています。
たぶん、このあとの人生も、母から適度な距離を置いて生きていくような。
(介護のことはわからないです。母自身は、自分たちでできるから大丈夫、と言っています。そういう自立心を持っているところだけはありがたいのですが)

ただ、これから、私の育児に悪い影響がないか心配です。

すでに娘に対しては多少の後悔があります。
娘はかつて「回避型」だったかもしれないと思います。手がかからない子だと思っていました。それが問題だとは思っていませんでした。
あと、娘に対して、私は少し冷たい気がします。あなたはしっかりしてるから、少しくらい我慢できるわよね、ってちょっと思っている節があります。上の子がしっかりしてないから、そう思わないと、育児全体がやってられない、というのはあるんですが。。。それも言い訳にとられてしまうんでしょうか。
娘はかわいいし、娘に対する愛情はあるつもりです。でも、「思いやりが乏しく、自分の大切な人が痛みを感じていても、平然としていたりする。」と指摘されると、そうじゃないと自信を持って言えないですね。。。

そういう意味では、この本を読んだことで、いろいろ自信をなくした面はあります。
「私って病気だったの!?」みたいな。

娘には幸せになってほしいです。
でも、こんな私に娘を幸せにできるのでしょうか。
この本を読んだことで、私自身は痛みを感じ、居心地の悪さを今感じていますが、でも娘に何かを連鎖させないためにこの本に出会えてよかったと思いたいですね。

ちなみに、息子の方は・・・。
一人目の子ということもあって、自分の分身みたいな気がすることや、あまりに頼りないところがあり(小さい頃にひどい食物アレルギーだったこともあるかもしれません)、そんなに冷たくは接してないと思います。ずっと働いていたから、愛着の時間自体は短かったかもしれませんが、今でも平気で甘えてくるので、愛着不足の問題はないと思う(ただ、私がいなくなったらどうする、という自立可能な子に育つのか?という問題はあります(涙))。

娘は、そんなお兄ちゃんの様子を見て、「おにいちゃんはおかあさんの、私はおとうさんの」と言うことがあるので、やっぱり愛着パターン「回避型」かと(涙)。
でも、この1~2年で、少しはわがままを言えるようになったから、ましになったのかも、と思ったりもします。

子どもを幸せにする道は、険しいですね。。。

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さちまねき

Author:さちまねき
地味系ワーキングマザーが、ハハとしての想いや、お仕事との両立のこと、子供の成長レポート等、身のまわりの話を背伸びせず書き綴っています。

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★私(42歳♀)
  :事務職のフルタイムワーカー。2005年に男児、2010年に女児を出産。
★ダンナorパパ(4?歳♂)
  :外のお仕事も家のお仕事も頑張ってくれています。
★息子(8歳♂)
  :2005年生。食アレっ子ですが、食べられるものは増えてきました。
★娘(3歳♀)
  :2010年生。いつのまにか成長している我が家のお姫様。

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