イクジな日々、おシゴトな時間。

「会社での仕事」そして「育児」という2つのおシゴトに追われながらも、「子の成長」そして「私自身の成長(いわゆる「育自」^^)」を楽しんでいきたいと考えている、Working Motherが綴るblogです。
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良識的であるということ

ご無沙汰しております。年度末ですね。

この一年を振り返ると、ですね。
好むと好まざると、人とのお付き合いの多い一年だったなあ、と思います。
職場でも、子どもの学校でも。

そして、思ったことは…。
世の中にはいろいろな人がいるんだなあ…、という感想。
いや、あたりまえすぎる感想で、すみません。

特に、「感じ方」。
「感じ方」というのは自由です。その人の感じ方を否定することはできない。
ま、その感じ方を「変わってるなあ…」とこっちが思うことも、同じく自由だったりしますが…。
そして、その「感じたこと」に対する「行動の仕方」。
これまたやっぱり、「え?そうくるの?」と思うような行動をしてくる人がいる。いるんです。
もちろん、公序良俗に反する行動でなければ、どう行動しても認めざるをえない、と思う。
これも、こっちがどう思うかは自由なんですけどね…。

で、その「感じたこと」「それに対する行動」。
やっぱりそれが突飛だと、ちょっとね。
他人に信頼してもらえなくなる、というのはあると思います。


「信頼」っていうのは、社会の中で生きていくにあたって、とっても大事なもの。
そして、その「信頼」っていうのは、そういう人とのお付き合いの中で、少しずつ培われていくものです。
お付き合い。存在を目に留める、留められる、というところから始まり、次に会釈・あいさつ、そして世間話、そして込み入った話、新たな関係性の構築…、といったところでしょうか。仕事を介して、だとまた順序が違うかもしれませんし、いまどきのネットの人間関係でも、また少し違うかもしれませんね。
でも、お付き合いを継続していく中で「信頼」が培われていったり、逆に損ねたりする、ということは、あると思います。どんな形の付き合いでも。
そして、「信頼」というのは、溜まっていくものなのだな、と最近思ったりします。ある程度、自分の信頼というか評判が定着していくと、ちょっとそれに反するミスをしてしまったとしても、簡単には傷つかない。もちろん、そんなミスが継続すると、観られる目も変わってくるのでしょうが…。

そこで思うのは、「良識的」であることは大事、ということ。
ある人がどういう感じ方をし、それに対してどういう行動をとるか。そこには、ある程度パターンというものがあるな、と感じます。
意地の悪いものの見方をする人、素直に物事を捉えられない人、というのは、やはり、継続的にそんなものの見方をしていると思う。
そういうものの見方をしているから、って、その人を否定することはできない。
でも、そういう人に対して、こちらが素直に自分を出せるかというと、やっぱり出せないし、出したいとは思わないですよね。
そして、そういうふうに感じた結果、どういう行動をとるか。
他人が傷つくような行動を平気でとれる人もいます。それは相手が傷ついているかもしれないという想像ができないからかもしれないし、相手が傷つくとわかっていてわざとそういうことができる人なのかもしれない(信じ難いことですが、後者のような人も、現実にいるようです)。
実は、行動のとり方は、相手によって変えることもできるので、他の人からみた印象が複数あることもあると思いますが(上司から見た印象と部下から見た印象が違うとか、男性から見た印象と女性から見た印象が違うとか、ひいきにしている人とそうではない人からの印象が違うとか、家族から見た印象と友達から見た印象が違うとか)、でも、まあ、そういう印象も違う人が見ても大きくは変わらないかな、と思います。(複数の部下から見たときに概ねその人の評価は一致するとかそういう意味です)

「良識的」に行動すると、周囲からの「信頼」も得られる。
特に媚びなくても、周囲からの信頼って得られるんだなあ、と最近実感する。
見てる人は、見てる。
それは、私が人生振り返って思うこと。
変わった人に傷つけられることがあっても、私の場合はなぜか必ず、その変わった人がいなくなったところで、別の人が励ましてくれました。
ちなみに、その励ましてくれた人、というのは、必ずしも、仲がいい人というわけではない。というか、仲がいい人が励ましてくれたこと、というのはあまりなくて、たまたまそこにいた人、ということがほとんど。
傷つけられても、自分が孤独ではないことが実感できれば、立ち直ることは難しくない。

そういうわけで、いろんな感じ方、行動の仕方をする人たちと、私たちは同じ場所、同じ時代に生きていて。
そして、誰も一人では生きていけない以上、出会う人に対して、なんらかの判断をし続けながら生きていて、そして、自分自身もなにかの判断をされ続けながら生きているわけで。そんな中、ライフステージの変化や、環境の変化、価値観の変化にかかわらず、周囲に信頼されながら生きて続けていくためには、やっぱり「良識的」に感じ、「良識的」に行動することがひとつのカギになるのではないかと。

似たような言葉だけど、「常識的」や「良心的」とは違います。
「常識的」や「良心的」という言葉には、誰かが「常識」と思ったものや、誰かに「いいことだよ」と教えられたことを、無批判にうけいれるようなニュアンスを感じる。
変化が緩い世の中のときはそれでいいのかもしれないけど…。そういうときは、「常識的」な人も、「良識的」な人も、似て見えるものと思います。
でも、「常識的」な人というだけでは、世の中の価値観が変化したときに、その人の行動に差が出てくると思う。そういうときに、前の「常識」が通用しなくなるから。例えば、セクハラ的なものとか、以前は職場の男女間のコミュニケーションと思って疑わなかった人がいるかもしれないけど、今はそういう価値観ではなくなった。それでも、どこかで身につけてしまった感覚そのままの人が今度は問題視されることになってるのだと思う(あ、ここで例示したものは、セクハラ的とはいっても「軽い」ものをイメージしてます)。

「良識的」なこと。
私が今思うのは、知っている人に挨拶や会釈ができること、他人からしてもらったことに素直に感謝しお礼をきちんと伝えられること、他人を傷つけるような発言は極力しないこと、自分が謝ったことをしていると気づかされた時は素直に謝ること、ということかなあ。
そのために、内面的には、自分という存在に自信を持っていること、他人も良心を持っているという前提で考えること(あくまで、まずは信じてみる、という意味で、それを裏切るような行動を起こす人をどこまで信じるかはその人の許容度によよると思いますが)、他人の領域を侵害しないこと、情報を集め続けること(本を読む、新聞を読む、他人と話す)、時々、自分の価値観を疑ってみること(内省すること)、そういうことが必要かな、と思う。
生まれながらに、そういう内面を持っている人はいないと思う(「良識的」になりやすい子、なりにくい子、という個性はあるかもしれないけど)。でも、ある程度の年齢になったときに(中年をイメージしてます)、「良識的」な人とそうではない人ははっきり違う人生を送っていて、あるマインドを持っている人は経験を経てどんどん世の中を生きやすくなっていくけど、違うマインドを持っている人は決してそうはなれずに、他人を貶めたり僻んだりして、精神的な孤独感に苛まされて生きていくことになるのかな、と思ったりします。
その差は、普段表面的にはわからない。表面的には豊かな生活をしているように見えても、実は孤独という人もいるでしょうし、第一印象ではパッとしない感じの人が、友人が多いということや、自分に満足して慎ましく生活しているということもあるでしょう。
でも、事件や事故、思いもかけない出来事があったときに、その人がどういう行動に出るか、というときに、その人が「良識的」かどうかの判断がされると思います。見ている人は見ていますから。そんなことの積み重ねが、自分への評価や信頼につながっていると思うのです。

今、自分は育児しているので、自分の子どもには「良識的」な人間に育ってほしい、と思う。
それは、これからの世の中を自分なりに生き抜いていくために、持っているべきものだと思う。違うか。良識的な人間に育ってほしいというより、そうではない人間に育ってほしくない、という気持ちかもしれない。他人を平気で貶めたり、他人に対して僻んだり、そういう不幸な人間に育ってほしくない、という気持ちかも。
でも、そういう育児をするのは、すごく難しいことですね。気持ちを強いれば、単に「良心的」な人になってしまいそうですし、価値観を強いれば「常識的」な人になってしまう。子どもと一緒に長く生活していくなかで、自分が子どもの価値観に強い影響を与えることを意識し、見本となるような言動を心がける、ということが、ひとつのやり方なのかな、と思います。根気のいることですが(^^;)。

まあ、この1年を過ごしてわかったこと。
自分は、信頼できる少数の人たちと日々過ごすことを、快適に感じる性質なんだなあ、ということ。
家族とか、変化の少ない職場とかね。
友達を増やしたい、とかそういうマインドはあまりないみたい。
でもだからと言って、他人からの評価を下げているわけではない、ということがわかったのは、収穫でした。
他人に対しては、目的に沿って誠実に対応すること。その結果、噛みついてくる人も中にはいるわけですが、見ている人は見ているし、それで信頼を得てもいるので、それを卑屈になって独りで引きずるのではなく、それを乗り越えて自信を持って生き続けることはできると思いました。
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さちまねき

Author:さちまねき
地味系ワーキングマザーが、ハハとしての想いや、お仕事との両立のこと、子供の成長レポート等、身のまわりの話を背伸びせず書き綴っています。

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★私(42歳♀)
  :事務職のフルタイムワーカー。2005年に男児、2010年に女児を出産。
★ダンナorパパ(4?歳♂)
  :外のお仕事も家のお仕事も頑張ってくれています。
★息子(8歳♂)
  :2005年生。食アレっ子ですが、食べられるものは増えてきました。
★娘(3歳♀)
  :2010年生。いつのまにか成長している我が家のお姫様。

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